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握手会でファンを魅了するための鉄則、その一「ファンの手を片手ではなく両手で握りこみ、自分の胸元に引き寄せること」。
鉄則、その二「その動作をできる限り、握手から『祈り』に近づけること」。
鉄則、その三「実際に、(私をもっと好きになって!)と祈ること」。
そして、最後は渾身の上目遣いを繰り出しながらこう言うのだ。
「真理に、会いに来てくれたんだ?」
――その言葉を実際に口に出して言ったとき初めて気づいた。私が握っていたのはファンではなく、ティッシュ配りのお兄さんの手だということに。
「え? え? 何?」
両耳にルーズリーフみたいにピアスを開けた金髪のお兄さんは、困惑の表情を浮かべていた。私はお兄さんの手からポケットティッシュを奪うと、
「す、すみません!」
と頭を下げて小走りで駆け出した。
近い将来、アイドルになったときのことを想定して日ごろから行っている「エア握手会」に没頭するあまり、つい、目の前に差し出された手に握手をしてしまった。
私は猛烈に顔が熱くなり、穴があったら入りたいとはまさにこのことだと思ったが、もし手ごろな穴を見つけたら、その中に飛び込んだ瞬間にスマホを取り出して、たった今起きた出来事の詳細をメモしなければならないだろう。もちろん、将来アイドルとしてバラエティ番組に出たときのエピソードトークで使うためだ。
「だ・か・ら、作り話じゃなくて、本当なんですって! 『エア握手会』のやりすぎで、ティッシュ配りのお兄さんの手を握っちゃったんですよぉ。私の場合、アイドルになる前から誰彼かまわず握手しまくってましたからね。『そこに手があるから』って理由で。はい、そこ、登山家とか言わなーい!」
大ウケするスタジオを想像して、思わず笑みがこぼれる。
――ちなみに、私の名誉のために付け加えておくと、たった今起きた、「本当に見知らぬ人の手を握ってしまった」というのはかなりのレアケース。こんなことを日常的にしていたらただの痛い女だ。そして、痛いだけの女はアイドルになれないということが橋本明香里ちゃん――通称・あかりん――のフォトブック『Dream論』に明記されている。アイドルとして成功するためには、夢を見るための「勘違いのチカラ」と同じくらい、自分を冷静に見るための「客観のチカラ」が必要なのだ。
では、なぜ今日に限って冷静さを失い、糸の切れたバルーンかよってくらいの舞い上がり方をしているのかというと、そこにはれっきとした理由が存在する。
実は、なんと、私、山咲真理は、本日、ファミリーレストラン『ハニーズ』のアルバイトに正式に採用されたのです! ありがとぅ──っ! ありがとぅぅ――っ!!!(舞台の上から観客席に向かって手を振りながら)
もし、今の私の言葉を聞いて、
「それが何?」
なんてきょとん顔で聞いてくる人がいたとしたら、私はその人の手を両手で握って自分の胸に引き寄せて上目遣いをしながら、渾身の頭突きを食らわせることになるだろう。
(イラスト 1、2、3)
『ハニーズ』のアルバイトを侮(あなど)る莫(なか)れぃっ!
もちろん『ハニーズ』は女の子の制服が可愛いすぎてアルバイトの倍率がとんでもなく高いということもあるのだけど、何より、私が今日、採用されることに決まった、北関東地方に存在する唯一の『ハニーズ』は、あかりんがアルバイト中にスカウトされたという伝説を持つファミリーレストランなのだ。それはつまり、この町におけるアイドル登竜門としての聖地であり(少なくとも私はそう思っている)、帰宅部なのに帰宅の道とは反対方向のハニーズに通い、アルバイト募集の貼り紙をチェックし続けるという下積み時代がついに報われた、記念すべき日なのだ。
今のところバイトの話は、私が通う桜華山女子高の誰にも漏らす気はないけど、この話を聞いたら彩花もきっと私に対する態度を改めざるを得ないだろう。
彩花というのは、話すと長くなるかもしれないけど、今日という日の門出においてこの子の話だけはどうしてもしておきたい。
もともと彩花は小学校5年のときに東京から転校してきた子なんだけど、クラスに馴染めず友達も一人もいなかった。あまりしゃべらない子だし、体育も休んでばかりだったからなんとなくお高くとまってる風に見えたんだと思う。小学校では5年と6年が同じクラスだったのだけど、6年のとき修学旅行の班決めで彩花はどこの班にも入れてもらえず、今にも泣き出しそうな顔になっていた。それで私が、
「あやちゃん、うちの班に入りなよ」
と誘ってあげたのだ。
あのときの彩花のうれしそうな顔といったら――どうしてあの顔を写メでおさえておかなかったのだろうかと今さらながら後悔している。
ちなみに小学生時代の私はというと、この話は一切盛らずに――どれぐらい盛らないかっていうと「フルーツ盛りを頼まれたのにミカン一個だけ出す」くらい盛らずに話すのだけど――成績優秀、運動神経抜群、歌もうまいし、絵もうまい、話も面白いと、四拍子も五拍子もそろったスーパー女子で、バレンタインデーは私があげた義理チョコですら高額プレミアム商品として男子の間を駆け巡り(一説によると、冬眠中のオオクワガタと交換した男子もいたらしい)、ホワイトデーにはあげてもいないお返しを大量にもらい、そのお返しを食べて感想を言うために年始から3月に備えてダイエットを始めねばならないという、当時の山咲真理は圧倒的なブランド力があり、その意味では「MARI YAMASAKI」なのであり、そんな私の班に入れるというのは彩花にとって相当な「青天の霹レッキー」だったはずだ(ちなみに「青天の霹レッキー」は私の作った言葉で、青天の霹靂+ラッキーで、「思いかけずラッキーなことが起きる」の意。アイドルになったときのために備えて、流行り言葉の制作にも余念がない私なのであった)。
そして、修学旅行中も、学校に戻ってきてからも、彩花は私のあとをついて回るようになり、具体的な言葉には出さなかったものの、「この御恩は一生忘れません。真理さんに何かあったら『いざ鎌倉』的な感じで奉公させていただきます」的なオーラを全身から醸し出していたのだった。
に・も・か・か・わ・ら・ず、だ。
今、ファッション誌の読者モデルでもある彩花は桜華山で一番可愛い女の子グループを率いていて東京でモデルの男の子たちとの飲み会も開いているらしく、そんな話を風の便りに聞いたとき私は内心、彩花に対してこう叫んだ。
「今、鎌倉だよ!」
いや、私は男の子のモデルを紹介してもらいたいとか、そういうことはもちろん、大いにあるのだけど、それよりも何よりも、一応は幼馴染なわけだし、結構な恩があるわけだし、もう、全然私に一声かけるべきだと思う。声をかけて然るベッキーだと思う。
つまり、私は彩花に軽んじられているのだ。
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評価
良いと思うところ
16歳の話はおもしろくて、ぜひ多くの方に読んでもらいたいと思います。
良くないと思うところ
「66歳のヒロインが16歳の自分に会いに行く」という冒頭が、イメージしにくく、ここで読むのをやめてしまう人がいるのではないかと危惧しています。
2017年12月22日 2時39分 カヲリ「16歳の話」から始めて、おばあさんが登場してから冒頭の部分にもっていった方が、良くないでしょうか?
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著者からの返事
感想ありがとうございます。
2017年12月23日 5時32分 水野敬也冒頭の状況、もっと分かりやすくする可能性を考えてみます。また、冒頭が前編の最後で大きく影響してくるのでそこを見てもらってからご意見さらにいただけたらうれしいです!引き続きよろしくお願いします。
評価
良いと思うところ
水野さんのテンポがよく出ていて、水野さんの昔からのファンはどんどん引き込まれていくと思います。
良くないと思うところ
水野敬也初心者の人が読むと、「タイムとラベルで昔の自分を指導する」設定がわりと普通で、そのわりには少しわかりにくいので、物語に入り込む前に終わってしまいそうな気がします。
2017年12月25日 13時51分 有村信一郎1人がこのコメントに「いいね!」しました
コメントの評価
著者からの返事
なるほど、やはり冒頭には工夫が必要だということですね。
2017年12月26日 23時52分 水野敬也ありがとうございます!
評価
良いと思うところ
話のテンポも内容の水野さんらしさも最高です
冒頭の人工知能の相沢で「神様に一番近い動物」に出てきた相沢を思い出してクスッとしてしまいました
これからどう話が広がるか楽しみです
良くないと思うところ
(明確に「悪いと思う点」という欄がレビューに設けられているサイトのシステムに驚いてますが…)あえて書くなら人生に悔いを残した66歳のおばあちゃんの言葉、助言に説得力があるのか現時点でまだ分からないのでこれからどうなるのか気になります
2017年12月25日 16時56分 チョコまだこのコメントに「いいね!」がついていません
コメントの評価
著者からの返事
助言の説得力については2章で出てきます。そこで新しい手法を取っていますが説得力が出ているか検証いただけたらうれしいです!
2017年12月26日 23時53分 水野敬也評価
良いと思うところ
ターミネーターのように全裸で登場する老婆やアイドルの格好で納得する老婆に突っ込みを入れる女子高生等のイメージしやすい笑い、ギャグの要素は読んでいて面白かったです。
良くないと思うところ
主人公が女子高生なのか、老婆なのかがわかりません。両方ともにあまり差のない量の説明や感情の描写をしてしまうと少しくどいと思います。全体的に説明が多い気も。そのせいで面白いところはテンポがいいのに、説明のところで急に足元がもたつくように感じます。そこはもっとさらっとでいいんじゃないか…と思うところがありました。あとは読み手(ターゲット)をどこに設定しているのだろう?とも思いました。これから人生を切り開いていく若い方なのか、自分の人生を振り返って、もし過去に戻れるのなら…と一度は考えたことがある大人なのか。水野さんのスパルタ婚活術を大変面白く読ませて頂きましたが、あの本はターゲットが「アラサー婚活女子」とピンポイントに明確でしたので、書かれていることも単純明快、的を射ていると思いましたが、この物語は誰に向けたものなのかが不明で、それゆえに物語に説得力を感じず、心を掴まれる程ではなかったです。
2017年12月26日 10時0分 山重彩老婆の方がキャラクターが定まっていないようにも感じました。第一話後半の語りの部分とか。話を展開するために作者の言葉を喋らされてる感があります。本当の彼女ならこんなこと喋らなそうだなと思いました。
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コメントの評価
著者からの返事
丁寧な感想ありがとうございます。
2017年12月26日 23時55分 水野敬也老女のキャラは確かにそうですね。もう少しミステリアスな雰囲気を持たせてもいいかもしれません。設定としては老女はタブレットに書かれてある内容に従って16歳の真理を育てているのでそのあたりをふくらませることで老女の人間らしさがでるかもしれないですね。ただ同時に、実用を入れる上で老女は「権威」でもある必要があるので自信を持っててほしいというのもあって、、、。章が進んでから振り返ってみます。
評価
良いと思うところ
相変わらず面白いのと!それ以上に、現実を変えてくれる言葉がメインで進んでいくような。普通の小説じゃなくて。実用書だなぁと。先生らしくていいと思います◎
また、場面で各々にハッキリした色があるので(他の方が書いた作品に比べて、ちょっと読むモノにしては長いけど〜)単調にならず、最後まで一気に読めます。特に、16歳の真理ちゃんのキャラが事細かく描かれてるのは、さすがでした(笑)
良くないと思うところ
冒頭の真理が、人生が終わるような66歳のおばあちゃんだということが、何度読んでもイメージしづらく。どうしても、物足りなさを感じながら読み進めます。16歳の真理ちゃんはあんなに伝わってくるから〜ギャップがありすぎて(笑)最初から、真理ちゃんは真理ちゃんで居てほしいというか。んーなんというか。
2017年12月26日 15時7分 takaminまだこのコメントに「いいね!」がついていません
コメントの評価
著者からの返事
なるほど。それはその通りですね。16歳の真理の延長線上で66歳の真理がいるのだから、真理っぽさ、もっと言うと、真理が取りそうな笑いの行動は冒頭に含ませるべきだと思いました。ありがとうございます!!!
2017年12月26日 23時57分 水野敬也