10月初め、夏休みが終わり、大学の後期課程が始まった頃、山之内京子は21歳の誕生日を迎えた。
目の前のテーブルには鍋一杯の肉じゃが。手にした缶チューハイはすでに5本目。黒のロングヘアに包まれた京子の顔は、かなり赤くなっている。テーブルの向かいには友人の恵奈。プクプクと太っている恵奈は、目の前の肉じゃがを作った張本人であり、京子の誕生日を祝って丸い顔をニコニコさせている。
肉じゃがを食べて、京子はぽつりと呟いた。
「……違う、こうじゃない」
「え、味付けまちがえたかな?」
京子の手に力が入り、缶チューハイがベコッと音を立てる。
「なんで、誕生日に恵奈と二人で肉じゃがを食べてるんだ?」
「他の友達はみんな、用事があったんでしょ?」
ベコッと、缶がさらに凹む。
「全員、デートだよ。彼氏と」
ベコッ、ベコッ。
「私たちにも、そのうちできるよ。ほら、いつか白馬の王子様が……」
ベコッベコッベコッ!
「来ないっ! そんなものは絶対に来ないっ!」
ひしゃげた缶からチューハイがあふれ出す。
幼稚園児の頃、近所のマセた小学生のお姉さんに、背伸びした恋バナをよく聞かされた。小学生になるとそんなことをするようになるのだ、と京子は素直に感心していた。
小学生の頃、流行っていた恋愛漫画の主人公が中学生の女の子で、自分も中学生になったらこんな恋をするのだろうと、京子は思っていた。
中学生の頃、女子高生の性の乱れについてテレビのニュースで騒いでいて、自分も高校生になったらそういう経験をするのだろうと、京子は不安と憧れを抱いていた。
高校生の頃、大学生の先輩から、大学生は飲み会やコンパばかりで彼氏なんて嫌でもできると聞かされて、自分もそうなるのだろう、と京子は信じていた。
しかし全てそうならなかった。そして京子は、ついに気づかなければならなくなったのである。
「彼氏は作らなきゃ、できないっ……!」
カターン、と恵奈が持っていた箸を落とす。
気づきたくなかった事実であった。
「いや、でも、私たちだって、何もしてこなかったわけじゃないし。ほら、肉じゃがおいしいでしょっ? おばあちゃんが肉じゃがをおいしく作れる女はモテるって……私、結構がんばって……」
「おいしい! 確かに恵奈の肉じゃがはおいしい! でも……男に肉じゃがを食べさせる機会って、あんまなくない?」
恵奈は絶句した。気づきたくなかった事実であった。
「私たちは、もっと積極的に行動すべきなんだよ……」
京子は6本目の缶チューハイを開ける。
「積極的って……?」
「それはゴ……」
京子は言いよどむ。しかしチューハイをグッと一口飲んで、意を決して言った(でも声は若干小さかった)。
「合コンとか……!」
「合コンっ……?」
恵奈は息を飲んだ。合コン、聞いたことがある。男女が一緒に食事をして関係を築き、うまくいけば恋仲に発展することもあると噂のイベント。でも今まで京子ちゃんは「そういう軽い感じ苦手なんだよね」とか言って興味ない素振りだったし、私も「体目当ての人しかいなさそう」とか言って基本的に断っていたわけでっ……!
恵奈の動揺が、京子にもはっきりわかった。しかし、これはもはや避けては通れぬ道である。
「恵奈!」
京子は飲みかけの缶チューハイを恵奈に突き出して言った。
「彼氏のいない誕生日なんてもう嫌! 恵奈はどうなの?」
恵奈はハッとした。
京子ちゃんがシャーペイになってる!
シャーペイとは、犬の品種である。たるんだ皮のせいで、体や顔が皺(しわ)だらけなのが特徴のキモカワイイ犬なのである。
京子の眉間には今、そのシャーペイように深い皺が浮かび上がっていた。
京子の眉間がシャーペイになる時、それは京子が本気になった時だと恵奈は知っていた。こうなった京子ちゃんはもう止まらない!
意を決して、恵奈は缶チューハイを受け取り、グッと一息に飲んだ。元々酒に弱い恵奈の丸顔が即座に紅潮した。
「ほしい! 私も彼氏がほしい!」
恵奈の丸顔は紅い満月のようだった。京子が窓を開けると、空に浮かぶのは三日月だった。構わず京子は叫んだ。恵奈も続いた。
「作るぞっ! 彼氏を作るぞぉっ!」
「私もっ! 私も作るよぉっ!」
愛は戦いである
武器の代わりが「誠実」であるだけで
それは地上における最も激しい、厳しい
自らを捨ててかからねばならない戦いである
数日後、恵奈から届いたメールにはそう書かれていた。
インドの初代首相、ジャワハルラール・ネルーの言葉だという。
さすが、文学部はいい言葉を知っている、と京子は感心した。恵奈と京子は高校からの友達だが、大学では学部が別だった。京子は経済学部である。恵奈のメールにはこの勇ましい言葉とともに『一緒にがんばろうね!』という文章が添えられていた。
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評価
良いと思うところ
最初から、すごく読みやすかったです!
まさかの、肉じゃがを鍋いっぱい作って友達のバースデーを祝い、祝われるという(笑)
モテない女子をすぐにイメージさせる設定が◎その後の缶チューハイの「べコ」っていう音とか。ちょいちょい出てくる擬音語とかの使い方が、わかりやすい情景をイメージさせてくれます♪
良くないと思うところ
すごく読みやすいし、色んな登場人物が面白いのに。全体的に、どこか台本を読んでるような。ちょっと、離れて読んでいる感覚になります。心の声も京子だけにしてもらえると。フラフラせずに読めそうで。
2017年12月26日 15時21分 takamin一言で言うと、もっと、本の中に入りたい!という欲望が(笑)最後に残ることですかねっ。
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コメントの評価
著者からの返事
コメントありがとうございます!作者の森です。
2017年12月27日 4時29分 森久人初コメントです!嬉しいです!
確かに、複数のキャラの心の声が出てくるので
視点がブレて、フラフラした印象になっている部分があると思います。
読者の方には本の世界に没頭して読んでいただきたい!
と思っていますので、指摘いただいた部分を意識して
これ以降の執筆と、第一話の加筆修正に励みたいと思います。
今後もご愛読の程、よろしくお願いします!