行動経済恋する行動経済学

恋する行動経済学 第1話

 月にほえた翌日から、京子と恵奈はツテを頼って参加できる合コンを探しはじめた。二ヶ月後にクリスマスを控えた10月は、人々が恋人を探しはじめる頃なのである。合コンのアテはすぐ見つかった。しかもその週の金曜日に開催されるという急展開だった。

 合コンは4対4。文学部の恵奈のツテなので、京子は恵奈以外とは初対面である。恵奈曰く、他の女子は二人ともいい人、らしい。

 相手は近所の私立大学の学生。京子たちの学校より偏差値が高い。将来有望で粒揃い、らしい。

 京子は慌てて恋愛指南書を読み、新しい服を買い、メイクを練習した。写メで意見を求めると、恵奈からはこう返信がきた。

『いいと思う! 美緒ちゃんもいいって言ってる!』

 美緒は、今回の合コンの実質的な企画者で、かなり合コン慣れしているという。恵奈に写メを見せてもらったが、かわいらしい顔で、確かに男にモテそうだった。黒髪を編み込んでお団子にまとめた、凝った髪型をしていて、オシャレに対する意識の高さがうかがえた。

 そして瞬く間に、金曜日はやってきた。

 その日、午前中で講義が終わった恵奈は、夜の合コンまでの間、美緒に手伝ってもらって、服装やメイクをしっかり準備することになっていた。京子は午後も講義があったので、講義が終わってから合流し、合コン慣れしている美緒に、色々とアドバイスをもらう予定だった。初めての合コンで、味方に経験者がいるのは心強い。

 午後の講義が終わり、大学の校舎から、京子が意気揚々と出ていこうとした時、後ろから陰気な声がした。

「あれ、山之内さん……?」

 ゾッとして振り向くと、髪の毛の薄い、胃腸の弱そうな男がいた。経済学部の沢渡教授だった。50代ですでに生気を失いかけている彼を、学生たちは「窓際」と揶揄していた。リストラ寸前のサラリーマンのようだと。

 合コン前に縁起の悪いものを見てしまった、と京子は思った。

「選択必修の希望、出してなかったでしょ。人数の関係で僕のクラスになったから。伝わってなかったかな。今から講義なんだけど」

 消え入りそうな声で教授が言う。

 確かに、希望を出し忘れていたのを京子は思い出した。

「あ、あの、実は今日はちょっと……」

「出られないの?」

 教授の顔はまるで捨て犬のように悲しげだった。

「今日が一回目で、色々説明もあるし……実は、受講生が少なくて。金曜日の最後の時間だし、でも、用事なら、仕方ないですね……」

 それだけ言って口ごもると、教授はうつむいて、京子をおいてトボトボと歩き出した。とても50代の男の態度とは思えない。

 京子は時計を見る。講義に出ても、ギリギリ合コンには間に合う。化粧の直しや他の準備を、慌ててやることにはなるが。

 遠のく教授の背中はあまりにも弱々しく、哀れである。

 ため息を吐いて京子は教授を追った。

「教室、どこですか?」

 追いついて京子が聞くと、教授の顔が、パッと明るくなった。

「この講義では『行動経済学』の概要を学びます。『行動経済学』は人の経済活動に心理学的な側面からアプローチする学問です。例えば、人の選択は合理的ではなく、不合理な癖があります」

 教室に着くと、そう言って沢渡教授は講義を始めた。京子は一番前の席に座らされている。教授の言うとおり受講生はまばらだった。

 教授が黒板に文字を書く。

   松 10000円

   竹 5000円

   梅 3000円

「ちょっとしたお祝いで、お寿司を頼む時、皆さんなら、どれを選びますか?」

 自分なら『竹』だな、と京子は思った。松は高価すぎるし、梅だとしょぼすぎる。

 少し間を開けて、教授は続けた。

「これ、大勢に聞くと、『竹』を選ぶ人が多いんです。人は一番高価なものや、逆に一番安価なものは避けて、真ん中の無難な選択をすることが多い。これを極端回避性といって……」

「そんなの、当たり前じゃん……」

 無意識につぶやいて、京子はハッとした。人の少ない教室で、そのつぶやきははっきりと周りに響いてしまった。

 教授が京子を見つめる。捨て犬みたいな顔で!

「そうですね、当たり前、ですね……」

 そのまま教授はうつむいて、黙り込んでしまった。

 打たれ弱すぎるだろ! 京子は少ない受講者の視線が自分に集まっているのを感じた。おい、お前のせいだぞ、どうにかしろ、という無言の圧力がそこにはあった。

「あ、あの、当たり前ってことは、それだけ、実学的というか、『行動経済学』の知識は、いろんな場面で使える、ってこと、ですよね?」

 京子が何とかフォローを捻り出すと、教授はパッと顔を上げて微笑んだ。救世主を見るような目で京子を見る。

「その通りです! 例えばレストランで、メニューにやたら高い料理があったりするでしょう。わざと『松』にあたるものを作っているんです。一つ高い商品があると、それより安い商品は、無難な選びやすい商品になる。一番高い料理自体が売れなくても、それがメニューにあるだけで、他の料理が売れやすくなるんですよ」

 黒板の文字を消して、教授は続ける。

「人は相対的に物事を判断します。選択肢の置き方で選択が変わってしまう。こういうことを研究するのが『行動経済学』です。『行動経済学』的な事象は世の中にあふれています。他の例としては……」

 どうやら、講義の受講者が少ないのは時間帯よりも、教授に問題があるらしい。講義が終わるまでに、教授は三回、些細なことで心を打ち砕かれ沈黙し、その度に京子がフォローするハメになった。

 講義後、走って家に帰り、素早く支度を済ませて、京子は駅前の、ブロンズの母子像に急いだ。まず女子だけで合流して、相手の男子が先に入っている店に向かうことになっていた。

 本来なら恵奈と美緒に先に会い、一緒に駅前に行く予定だったのだが。教授に情けをかけて講義に出たことを、京子は後悔した。

 駅前には、恵奈と美緒の姿はまだなかったが、もう一人の参加者であるヒトミがすでに来ていた。恵奈に写真を見せてもらっていたので、京子はすぐ気づいて挨拶した。

 ヒトミは今回の参加者の中で、一番、美人だった。茶髪のショートカットで、スラッとしたスタイルはまるでモデルのよう。一学年上の三年生だが、話していて嫌味もない。写真を見た時も思ったが、今日の合コンはヒトミの独壇場になるかもしれなかった。

 ヒトミと話ながら、くじけそうになる心を京子が奮い立たせようとしていると、聞き慣れた声がした。

「おーい! 京子ちゃん! ヒトミ先輩!」

 京子とヒトミは振り向いて、絶句した。

 心臓が止まるかと思った。

 ポッチャリ、というには無理のある体を、さらに無理のある細身のドレスにねじ込んだ女が、手を振りながら近づいてくる。丸々とした顔には濃い化粧、頭には金色に染めた髪がウェーブを描いている。海外セレブのような格好だけれど、小さい目と低い鼻はあまりにも日本人的である。

 それは確かに恵奈だった。顔から濃い化粧を差し引くと、確かに恵奈になるのである。

「どうした恵奈! その格好!」

 思わず京子は大きな声を出す。

「似合う? 気合入れてきちゃった! 今日はがんばろうね!」

 恵奈はやる気満々だ。自分ではおかしいと思っていないらしい。

 ヒトミは言葉を失って恵奈を見ている。

「初めまして、山之内京子さん」

 恵奈の影から声がした。恵奈と一緒に美緒も来たのだ。恵奈に見せてもらった写真では凝った編み方でまとめていた髪を、おろしてストレートのロングヘアにしている。

 恵奈は美緒と一緒に準備をしてきたのだ。ということは、この服やメイクも美緒のアドバイスなのだろうか。合コン慣れしている美緒には、京子にはわからない考えがあるのだろうか。

「今日はお世話になるから」

 美緒が京子の前に手を出して握手を求めてきた。

「あ、こちらこそ、よろしくお願いします」

 京子は美緒の手を握りながら、その顔を見つめた。

 美緒は写真と同じく、男にモテそうな顔で微笑んでいた。

 合コンは、駅の近くの店で行われた。最近、雑誌で紹介されていた、若者向けのカジュアルな居酒屋だった。

 相手の男は確かに粒揃いだった。特にあの沢渡教授を見た後だと皆、自信にあふれ、魅力的に見えた。講義で聞いた「人は相対的に物事を判断します」という言葉を京子は実感した。

 しかし、その自信にあふれた男たちも恵奈の姿を見た時は明らかに動揺していた。

「やばい! みんな、私を見てる!」

 恵奈は嬉しげに小声で京子に言った。確かに、注目はされているのだが。

 しかし恵奈への注目は長く続かなかった。合コンが始まると男たちは、即座に恵奈と京子を視界の端へ追いやり、ヒトミと美緒を視界の中心に入れて動きはじめた。それは最初から予想できたことである。京子は懸命に会話に茶々を入れ、男子の視界への参入を試みた。

 必死に合コンの流れに食いつきながら、やがて京子は違和感を覚えはじめた。京子や恵奈が、流れの中心になれないのはわかる。京子の考えでは、今回の合コンの中心になるのは、ヒトミなのだ。単純に、ヒトミが一番美人だ。美緒も確かに平均以上だが、ヒトミにはかなわない。しかし実際には、男たちの興味がヒトミよりも美緒に集まっている。男たちの視線や話しぶりから、美緒が流れの中心になりつつあるのがハッキリと感じられた。

 ヒトミはサバサバと明るく話もうまい。美緒は合コン慣れしているらしくよく気が回る。容姿以外の部分は互角だと京子は思った。それなのに、顔で負けている美緒の方が優勢で、合コンの空気を支配しつつある。

 たまたま男子の好みが偏っているのだろうか?

 何にせよ、もはや京子と恵奈は蚊帳の外であった。恵奈はすでに諦めて料理を食べることに集中し始めている。まるで「窓際」。隅追いやられたサラリーマン。頭の中に、講義をする沢渡教授の頼りない姿が浮かんでくる。

 京子が小さくため息を吐いた時、ふと美緒と目が合った。美緒は京子に向けて微笑みを浮かべていた。その微笑みには、はっきりと嘲りの色がにじんでいた。

 頭の中で、美緒の微笑みと沢渡教授の講義が、重なる。

 その瞬間、ひらめいた考えに、京子は思わず声を上げそうになった。

 まさか、これって、そういうことか? いや、でも……。思い浮かんだ考えに戸惑いながら、京子は腰を上げる。

「すみません、ちょっとお手洗いに……」

 言いながら隣の恵奈の腕を引っ張って、無理やり一緒に立ち上がらせると、京子はそのまま恵奈をトイレに引っ張って行った。

 トイレに向かいながら恵奈に訊く。

「ねぇ、美緒って、よく今日みたいな髪型にする?」

「ううん、ああいうのは初めて見た。いつもは編んだり束ねたり、もっと凝ってるから。それがどうかしたの?」

 やっぱり、そういうことなのだ、と京子は思った。


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REVIEWS

評価

12334

良いと思うところ

最初から、すごく読みやすかったです!
まさかの、肉じゃがを鍋いっぱい作って友達のバースデーを祝い、祝われるという(笑)
モテない女子をすぐにイメージさせる設定が◎その後の缶チューハイの「べコ」っていう音とか。ちょいちょい出てくる擬音語とかの使い方が、わかりやすい情景をイメージさせてくれます♪

良くないと思うところ

すごく読みやすいし、色んな登場人物が面白いのに。全体的に、どこか台本を読んでるような。ちょっと、離れて読んでいる感覚になります。心の声も京子だけにしてもらえると。フラフラせずに読めそうで。
一言で言うと、もっと、本の中に入りたい!という欲望が(笑)最後に残ることですかねっ。

2017年12月26日 15時21分 takamin
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コメントの評価

 著者からの返事

コメントありがとうございます!作者の森です。
初コメントです!嬉しいです!

確かに、複数のキャラの心の声が出てくるので
視点がブレて、フラフラした印象になっている部分があると思います。
読者の方には本の世界に没頭して読んでいただきたい!
と思っていますので、指摘いただいた部分を意識して
これ以降の執筆と、第一話の加筆修正に励みたいと思います。
今後もご愛読の程、よろしくお願いします!

2017年12月27日 4時29分 森久人
森久人
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