行動経済恋する行動経済学

恋する行動経済学 第1話

 京子はトイレに着くと、洗面台の前に立って恵奈に言った。

「あいつ、美緒は、私たちを踏み台にして、自分が一番魅力的に見えるように仕向けてる」

 恵奈はきょとんとしている。

「どういうこと?」

「自分よりかわいくない女が隣にいたら、一人の時より自分がかわいく見えるでしょ。美緒は、自分よりかわいくない私たちを呼ぶことで、自分の方がヒトミ先輩よりかわいく見えるようにしてるんだよ」

「まさか。美緒ちゃんはそんなことしないよ。確かに今日の相手は、私と京子ちゃんに興味がないみたいだけど、偶然だよ。それに、かわいくない人がいて得するのは、ヒトミ先輩も同じでしょ」

「それが、得をするのは美緒だけなの。理由はこれ」

 京子は自分の髪をつまんで、フリフリと振った。

「美緒と私は同じ髪型をしている。わざと私に合わせてきたんだ」

 京子の今日のスタイルは、恵奈に送った写メで美緒に把握されている。

 京子の頭の中に、合コン前に聞いた沢渡教授の講義が思い出されていた。京子は恵奈に言う。

「ある人が実験で、人を集めてこんな質問をしたの。『ある文房具屋がサービスで5000円買い物するごとに、500円キャッシュバックか、記念品の格好いいペンをくれると言う。どちらを選びますか?』」

「500円か、格好いいペンのどちらかがもらえるの?」

「そう。さらにその人はこんな質問も用意した。文房具屋がサービスをするのは同じだけど選べるものが少し違う。『500円か記念品の格好いいペンか、ありふれた普通のペン。どれを選びますか?』」

「選択肢が三つになって、ペンが格好いいヤツとありふれたヤツの二つから選べるようになった」

「うん。これを大勢の人に質問したら、おもしろいことがわかった。500円と格好良いペンの二つから選ばせる時より、500円と格好良いペンとありふれたペンの三つから選ばせたときの方が、格好良いペンを選ぶ人の割合が多かったの」

「二つから選ぶ時と、三つから選ぶ時で、人の選ぶものが変わったってこと?」

「その通り! 隣にショボいペンがあるから、格好良いペンはそれだけで見た時より、もっと格好良く見えた。ペンとペンだから比較になった。500円はペンじゃないからショボいペンがあっても、もっと格好良くは見えたりしない」

「そっか、500円玉が格好良く見えるためには、格好よくない500円玉が必要だったんだ。格好よくない500円玉って、旧500円玉とかかな?」

「それはわかんないけど、私が言いたいのは、ヒトミ先輩は500円玉で、私と美緒はペンだってこと。ヒトミ先輩は茶髪のショートでスポーティ。私とはタイプが違うけど、美緒は私に合わせてきた」

 苛立たしげに、京子は髪の毛をクシャクシャと掻き乱す。

「美緒ちゃんと京子ちゃんがペンなら、私は?」

「恵奈は……恵奈って元々、黒髪じゃん」

「うん、この合コンのために金髪にしたの」

「さっきの続き。『500円玉か格好いいペンか、デザインが若干違うけど同じくらい格好いいペンの三つからならどれを選びますか?』って聞くとどうなると思う?」

「今度は二本とも格好いいペンなの? う~ん、私なら500円かな。どっちのペンを選んでいいかわかんないし」

「みんな、そう思うの。この質問だと500円を選ぶ人が多くなる。同じようなものが増えると、選ぶのがめんどくさいから、逆に他と違うものを選んじゃうわけ」

「そんなもんかな?」

「財布とかバックとかで、色を選べるんだけど、何だか似たような色が多くて、わざわざ色違いを作る必要があるのか、みたいに思うことない?」

「あー、あるね」

「それはわざとなの。その中に一つだけ、他とはっきり違う色を入れておくと、その色が一番売れる。つまり売りたい色を、みんなが選ぶようにお店が仕向けてるわけ」

 京子は一呼吸おいて、続けた。

「恵奈を金髪にさせたのは、私と美緒と恵奈の三人全員が黒髪だと、一人だけ茶髪のヒトミ先輩が目立つ可能性があるから。だから、そんな似合わない化粧や服にして、男たちにとって恵奈が論外で悪目立ちするように仕向けたってこと!」

「ええっ?」

 恵奈はオロオロと自分の服を手で触り、鏡で顔を確認する。

「……この服と化粧、似合ってなかったの?」

 京子は無言で頷いた。

 恵奈の顔がショックでゆがむ。しかしあまりに似合わない化粧のせいで、まるでモノマネ芸人がふざけているみたいだった。恵奈の目に、涙がにじむ。

 京子の手が、固く拳を握る。京子は恵奈の送って来たメールの言葉を思い出していた。

 愛は戦いである

 それは確かだ。この合コンはまさしく戦いである。

 武器の代わりが「誠実」であるだけで

 それは嘘だ。美緒の行動どこに「誠実」あるというのだろう。

 京子は鏡をにらみつける。まさしくピエロのような濃いメイクで涙ぐむ恵奈がいる。気合いを入れて背伸びした格好をした京子がいる。

 合コンの前の美緒の言葉。「今日はお世話になるから」。その意味を、ようやく理解する。

 にらみつけた鏡の中、一瞬、美緒の顔が浮かぶ。あの嘲るような微笑みを浮かべて。

 それは地上における最も激しい、厳しい

 自らを捨ててかからねばならない戦いである

 京子の拳が突き刺さり、鏡が割れる音がトイレに響いた。

「ちょっ、京子ちゃんっ!」

 洗面台に散らばった鏡の破片を、京子は一つ手に取る。

 鋭く割れた破片の切っ先が、ナイフのように光を反射する。

 鏡の破片の中に、京子の顔が映る。その眉間にはシャーペイのように深い皺が浮かび上がっていた。

「そっちがその気なら、こっちだって……っ!」

「だ、だめだよ、京子ちゃん! 何する気なのっ?」

「あの二人、遅いね」

 合コンのテーブル、帰って来ない京子と恵奈の席を見て、ヒトミが言った。

 男たちが興味なさそうに空の席を一瞥する。

「お酒で気分が悪くなっちゃったんじゃないですか。二人だし、大丈夫ですよ」

 美緒が答える。

 男たちも同意するように、視線を美緒に戻して、また新しい話題を切り出そうとした。

 その時、京子と恵奈が帰ってきた。

 それに気付いたヒトミは最初、ホッとした顔をしたが、すぐに驚愕の表情に変わった。

「ちょっと、それ、どうしたの?」

 美緒と男たちも、京子と恵奈が戻って来たのに気付いて顔を上げ、すぐに驚きで顔を引きつらせた。

 恵奈はトイレに行く前と変わらなかった。しかし、京子は、髪型が変わっていた。あの黒く長い髪が、乱暴に切り刻まれて、ショートカットになっていたのである。

 京子が去った後の女子トイレには、鏡の破片で強引に切り取った大量の髪の毛が残されていた。

 切れ味の悪い刃物で切った髪は長さも整っておらず、まともな髪型ではなかった。京子が席に着くと、髪の毛の切れ端がポロポロとテーブルの上に落ちた。

「ちょっとイメチェンしてみました」

 軽い調子で京子は言う。

 美緒が唖然として、京子を見つめている。

 その瞬間、男たちの京子に対する認識は変わった。『黒いロングヘアのかわいくない方』から『頭のおかしい女』に変化したのである。そして『黒いロングヘアのかわいくない方』という認識がなくなったということは同時に『黒いロングヘアのかわいい方』という認識も消えることになるのである。

「いやぁ、私、今日の合コン、かなり気合が入ってるんですよ」

 他の人間が驚いて話せない隙をついて、京子は話し出す。今なら京子が話の中心になれる。

「恵奈も美緒さんに相談して今日のスタイルを決めたんです」

 ここでハッとして美緒が口を挟む。

「私は少し手伝っただけで、基本的には恵奈ちゃんが自分で決めたんですよ」

 恵奈のひどい姿をコーディネートしたとバレるのは、美緒にとって避けたいことだった。今まで恵奈が自分の格好を恥じている様子はなかった。むしろ喜んで見せびらかしていた。最終的に恵奈が自分で決めた、と言えば、男たちもそれを信じるだろう。

 京子は美緒に構わず言葉を続けた

「私、今日はみんなとすごく仲よくなりたくて。でも、みんなは違うのかな。みんなは、私たちの誰と、一番仲よくなりたくないですか?」

 一瞬、場が静まり返る。京子が明るく声を上げて笑いだす。

「な~んちゃって、冗談ですよ。みんな、仲よくなりましょう!」

 京子は質問を引き下げたが、一度口に出された質問を、男たちは内心で、つい考えてしまう。

 誰と仲よくなりたくないかって? もちろんお前だよ!

 全ての男が京子を見てそう思う。合コンの途中、いきなりトイレで髪を無茶苦茶に切ってくるなんて、どう考えてもヤバい女である。

 このデブとも仲よくなりたくねぇなぁ。

 次に恵奈を見て、そう思う。ファッションセンスがトチ狂いすぎていて、こいつもおそらくヤバい女である。

 あとの二人とは仲よくなりたい。でも、どちらかと言えば……。

 男たちは考える。美緒ちゃんの方は、このデブのファッションの相談に乗ったって言ってたな。もしかしてわざとちゃんとアドバイスしなかったのか。この女、結構、ズルい女かもしれないぞ。

 京子は風向きが変わりはじめたのを感じた。

 男の視線が美緒よりもヒトミに集まりはじめている。男たちが誰よりもヒトミと話したがっているのが伝わってきた。

 合コンの中心から外れていく美緒が、京子をにらみつける。

 京子の思惑どおりだった。人は肯定的に質問されると、もののよい面に注目し、否定的に質問されると悪い面に注目しやすくなる。これも今日の講義で知ったことだった。つまり「誰と友達になりたいか?」なら相手のいいところに、「誰と友達になりたくないか?」なら悪いところに、人は注目しやすいのである。

 こうして変わった風向きは、もう戻らなかった。結局、合コンの結果は順当に決まった。一番人気はヒトミ。連絡先を交換した男たちは彼女を取り合うだろう。二番手に甘んじた美緒はひどく不服そうである。恵奈も男たちと連絡先を交換したが、向こうから連絡が来ることはまずないに違いない。京子も男たちと連絡先を交換したが、明らかに嫌がっているのがわかった。家に帰ったらブロックされるかもしれない。

 ヒトミが翌日に用事があると言うので、二次会なしでお開きとなった。一番人気がいなくなることと、頭のおかしい女がいると思われたことで、男たちもあえてそれ以上続ける気分にならなかったのだ。そうして京子と恵奈の初めての合コンは終わった。

 帰るヒトミを、帰り道が同じだからと男の内三人が一緒に送っていった。本当に帰り道が同じかは怪しいところだ。

 男の一人が、美緒を送ると言ったが、美緒は冷たく断った。明らかに美緒はピリピリしていた。

 気まずいことに、美緒と京子と恵奈は帰り道が同じだった。

 しばらく三人は無言で歩いていたが、やがて美緒が口を開いた。

「あんた、馬っ鹿じゃないの?」

「は?」

 京子が足を止めて美緒をにらむ。美緒も足を止めてにらみ返す。緊迫した空気に恵奈はオロオロしている。

「おとなしく私の踏み台になってれば、おこぼれがもらえたかもしれないのに。あんなことしたら、男が引くだけでしょ」

 合コン前の、人のよさそうな雰囲気はもはやなかった。

「お前、恵奈に謝れ! ついでに私にも! こっちは初めての合コンだったんだぞ、それをっ……!」

 京子が怒鳴るのを遮って、美緒はクスクスと笑い出した。

「もういいや。あんたたちが今日やったことなんて、どうでもいいの。私には次があるから。何度だってチャンスはあるもの。デブとブスと違って」

 美緒のあまりの言いように、京子は言葉を失う。

「今日はお疲れ様、あるといいね。あなたたちにも掴めるチャンスが」

 美緒はわざとらしくお辞儀して、京子と恵奈を置いて歩き出した。

 怒りのあまり、京子の頭は真っ白になり、気づいた時には、既に美緒の背中は見えなくなっていた。

「ううううううっ!」

 京子は頭を抱えて呻いた。恵奈は心配そうに傍で見守る。

「恵奈!」

 顔を上げた京子を見て、恵奈はドキッとする。

 京子の眉間に皺が浮かんでいる。京子の本気は揺るがない。

 空にはこの前よりも少し太くなった月が浮かんでいる。

「作るぞっ! 彼氏を作るぞぉっ!」

 月に向かって京子が叫んだ。恵奈も笑って、少し恥ずかしかったがそれにつきあった。

「わ、私もっ! 私も作るよぉっ!」

 ギザギザの髪の女と、セレブの物まね芸人のような女の、おかしな二人組の声が、夜空に染み込んでいった。




「恋する行動経済学」は隔週月曜日更新です。

次回の更新は1月8日(月)です。



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REVIEWS

評価

12334

良いと思うところ

最初から、すごく読みやすかったです!
まさかの、肉じゃがを鍋いっぱい作って友達のバースデーを祝い、祝われるという(笑)
モテない女子をすぐにイメージさせる設定が◎その後の缶チューハイの「べコ」っていう音とか。ちょいちょい出てくる擬音語とかの使い方が、わかりやすい情景をイメージさせてくれます♪

良くないと思うところ

すごく読みやすいし、色んな登場人物が面白いのに。全体的に、どこか台本を読んでるような。ちょっと、離れて読んでいる感覚になります。心の声も京子だけにしてもらえると。フラフラせずに読めそうで。
一言で言うと、もっと、本の中に入りたい!という欲望が(笑)最後に残ることですかねっ。

2017年12月26日 15時21分 takamin
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コメントの評価

 著者からの返事

コメントありがとうございます!作者の森です。
初コメントです!嬉しいです!

確かに、複数のキャラの心の声が出てくるので
視点がブレて、フラフラした印象になっている部分があると思います。
読者の方には本の世界に没頭して読んでいただきたい!
と思っていますので、指摘いただいた部分を意識して
これ以降の執筆と、第一話の加筆修正に励みたいと思います。
今後もご愛読の程、よろしくお願いします!

2017年12月27日 4時29分 森久人
森久人
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