行動経済恋する行動経済学

恋する行動経済学 第2話

 最近、何人かバイトが抜けて人手不足だと店長も言っていたので、増やしてもらうことは簡単にできるだろう。

 恋人作りには何かとお金がかかる。ただ、京子はそれほど働くのが好きな人間ではない。本当は一日もバイトを増やしたくない。しかし、これはどうにも仕方のない問題であった。

 あまり気分が乗らないまま、京子は『デイリーデイリー』に入店した。

「いらっしゃいませっー!」

 元気な、というよりも、元気過ぎる大声が店内に響いて、京子はギョッとした。

 レジに目を向けると、40代後半で恵比須顔の店長と、京子と同年齢くらいの見慣れない男の店員がいた。

「もう少し、声は小さくていいから」

 店長が、その見慣れない店員に言う。

「すみませんっ。気をつけます」

 見慣れない店員は、見るからに緊張している様子で言う。

 京子は、彼の顔を知っていた。時々、客として買い物に来ていたはずである。

 大学生だと思うが、どこか幼さを残した顔をしている。髪はきれいに整えられていて、見た目からなんとなく、真面目で素直なんだろうなと思わせる爽やかさがある。身長は高くないが、足が長くスタイルはいい。

 格好よさよりも、かわいらしさを感じさせるタイプだった。前に一度、島倉が『アイドルグループにいてもおかしくない』と買い物をしていった彼を見て、言っていたことがある。

 京子は客としてくる彼の姿を見るたびに、こういうタイプが彼氏でも、全然アリだよなぁ、と思っていたのである。

「山之内さん、彼、新しいバイトの子。大学一年だから、山之内さんの一つ下かな。シフトが一緒になることもあると思うから、いろいろ教えてあげて」

 店長が京子に言う。

「川辺大樹です。よろしくお願いしますっ」

 大樹はどこか緊張しているような、しかし元気な声で言って、京子に深々頭を下げた。

「こちらこそ、よろしくね」

 大樹に答えながら、京子は内心で笑みを浮かべていた。これは間違いなく、恋人を作るチャンスだ。

 大樹との挨拶を終えると、京子は店長にシフトのことで相談があると言った。店長は大樹に、何かあったらすぐ呼ぶように言って、京子と一緒に、レジの奥に入った。

 レジの奥には、みんなが事務室と呼んでいる狭い部屋がある。京子は勢い込んで店長に言った。

「シフト、できるだけいっぱい増やしてもらっていいですかっ?」

 京子の目は、すでにキラキラと輝いていた。

 二日後の日曜日、京子と大樹のシフトは初めて重なった。

 先のシフトの人たちから仕事を引き継いで、やがて店員は京子と大樹のふたりだけになった。

 大樹はすでに基本的な仕事を教わっていたので、京子は世間話をしながら、細かい仕事を教えた。

「……へぇ、ずっと男子校だったんだ」

 カウンターの中で、仕事を教えながら、京子が言う。

「はい、中学から高校まで。だから大学の演習で女の子と話したりするの、いまだに緊張しちゃって」

「今も?」

「少し」

 気恥ずかしそうに大樹が笑う。

「モテそうだけどね。女の子に」

「えっ、いや、全然です」

 慌てて照れたように大樹が言う。

 なるほど、まだ彼女はいなさそうだ。後輩だと思って見ているからかもしれないが、京子には大樹が、かなり初心(うぶ)な人間に思えた。弟のようなかわいらしさがある。

 これは千載一遇のチャンスかもしれない、と京子は思った。案外、京子とふたりきりで仕事をしているという今の状況に、大樹はすでにドキドキしているのかもしれない。『デイリーデイリー』のスタッフは男や、年上の主婦の比率が高い。その中で、同年代の京子とふたりで働くということは、男子校育ちの大樹にとって、かなり刺激的なことなのではないか。下手すると、大樹はもはや京子に恋に落ちているかもしれない!

 その後、ふたりで棚の商品を補充しながら、京子は大樹に言った。

「川辺君さ、時々、このコンビニ来てたでしょ」

「えっ、何で知ってるんですか?」

 大樹が驚く。

「いや、私、レジにいたから」

「あ、なるほど……じゃあ、僕も山之内さんのこと見たことあるはずですね」

 思い出そうとしているのか、大樹が考え込む。そういう素直なところが、京子にはかわいらしく思えた。

「もしかして、前は眼鏡かけてました?」

 パッと思いついたように大樹が言う。

「……いや、かけてないけど」

「あれ、おかしいな……」

 誰と勘違いしているのだろう。京子は考えて、ハッとする。

 島倉さんだ。あの40代前半の主婦で、噂好きの島倉さん……。

 21歳の自分が、40代の主婦と勘違いされたと思うと、京子はショックを受けずにはいられなかった。というか、大樹の中で京子の認識は島倉と同レベルだということだった。全然、恋に落ちてなんかいない!

「最近、髪を切ったからわからないかもね」

 京子は自分を慰めるように言った。

「前はもっと長かったんですか?」

「そうそう、この間までロングだったんだけど……」

 大樹は京子のことをまったく意識していないようである。

 このままではまずい。何とか大樹に、自分をいい女として印象づけなければ。その時、ふと、商品の値札が京子の目に入った。

『通常価格390円』が線で消されて『今だけ290円』と書いてある。

「なんで切ったんですか?」

 大樹が言う。

「それは……」

 京子の頭にパッと閃きが起きた。

「……実は、彼氏と別れたんだ」

 京子は言った。大樹はどう反応するだろうか。しかし、大樹の前に、もっと大きな反応を示した者がいた。

 ガシャンッ! と、買い物かごが落ちる音がした。

 ハッとして見ると、いつの間にか傍に恵奈が立っている。恵奈は驚愕の表情で京子を見つめ、プルプルと体を震わせていた。

「き……京子ちゃん、そうだったのっ!?」

「……ごめん、ちょっと一人でお願い」

 京子は苦笑いを浮かべて大樹に言うと、恵奈を外に引っ張って行った。

 京子に、コンビニの裏まで連れてこられた恵奈は、話を聞いて思わず声を上げた。

「ええっ! 彼氏とは別れてないの?」

 京子が口に人差し指を当てて、「しーっ」と恵奈を静かにさせる。

「そもそも彼氏がいないって、知ってるでしょ?」

「彼氏がいないなら、彼氏と別れられないじゃん」

「だから、別れてないんだって」

「ええ、どういうこと?」

「彼氏はこれから作るんだよ」

「彼氏を作る前に、先に別れたの?」

「ああ、もう、だから!」

 京子は一度、深呼吸してから、落ち着いて話し始めた。

「例えばさ、『7000円』の商品がふたつあった時、片方の商品に『通常価格10000円』の『割引価格7000円』って書いてあったら、そっちの方がお得に見えるでしょ」

「それはそうだけど、何の話?」

「まぁ、聞いて。『通常価格10000円』って言われると、それが基準として刷り込まれちゃう。それで『通常価格10000円』から値下げされた『7000円』の方が、ただの『7000円』よりも、価値があるように思えるわけ。実は全く同じ商品だったとしてもね。こういうのを『アンカリング』効果って言うんだけど……」

 京子は恵奈の顔を見て続けた。

「同じように、私の価値を刷り込んで『アンカリング』したらどうなる? 本当の、ただのフリーの私は、いつでもつきあえる女だけど、もしも、男によくモテるいい女の私が、たまたま彼氏と別れたばかりで今だけフリーだとしたら? 『7000円』の隣に『通常価格10000円』って書くのと同じ。本当ならいつも彼氏がいるようないい女と、今なら付き合えますよってこと」

 京子の意図が、ようやく恵奈にも飲み込めたようだった。

「さっきは、一緒にいたバイトの人に、それを試してたってこと? いつもは彼氏がいるようないい女だって、思わせようとしてた?」

 京子がうなずく。

「そんなに、うまくいくかなぁ」

 疑う恵奈に、京子は微笑んで言った。

「もちろん、今の段階じゃあまだ弱い。もっとちゃんと『通常価格10000円』って、値札にしっかり書き込まなくちゃ……そうだ、恵奈、協力してよ!」

「ええ、何するの?」

 京子が恵奈に手を合わせて頼む。

「うまく行ったら、スイーツの売れ残りあげるから。あのね……」


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REVIEWS

評価

12344

良いと思うところ

おー^^前回に比べて、京子ちゃんがフラフラせずに直視できるようになりました*
こんなにすぐに書けるなんて、すごいですね!あと、シュークリームからの油断大敵の場面にもっていったのも、又おもしろい発想だなと◎

良くないと思うところ

直視できるようになったのですが*
細かい描写が少ない、会話じゃない所の文章の前後の「ブツ切り感が」(←伝わりづらかったらゴメンナサイ!(笑))たまーに、つまづきます。流れるように読めると、もっといいかなぁと、思ったりもしました◎
次も楽しみにしています♪

2018年1月14日 11時40分 takamin
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コメントの評価

 著者からの返事

コメントありがとうございます!とてもとても励みになります!

部分的な修正を重ねて書いているので、ブツ切り感が出てしまっているのかもしれません。次の更新分は修正が間に合うかわからないのですが、その後の分については、スムーズさを意識して書くようにしたいと思います。
技術的に拙い部分が今後も散見されると思いますが、ご指摘とご愛読のほど、よろしくお願いします。

2018年1月15日 23時35分 森久人
森久人
評価

12345

良いと思うところ

経済の勉強を恋愛にと言う考えは、とても楽しい考えだと思いました!
京子ちゃんと恵奈ちゃんに、素敵な彼氏が出来る事を願っています!

良くないと思うところ

悪い点では、全く無いのですが、個人的には、京子と言う名前は、響きが良いし、大好きですが、今の時代を考えると、子の付く名前は、大学生の設定では、あまり無い名前では?と思いました(笑)

2018年1月21日 3時25分 退会済みユーザー
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森久人
コメントの評価

 著者からの返事

返信がものすごく遅くなってしまい申し訳ありません!
コメントありがとうございます!
テーマの発想を褒めていただいて、すごく嬉しいです。
確かに、もしかして「子」の名前は古いかも……。
出版段階で名前の変更も視野に入れて考えてみます!
今後もよろしくお願いします!

2018年3月11日 23時30分 森久人
森久人
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