行動経済恋する行動経済学

恋する行動経済学 第2話

 そして大樹がバイトに来て、三週間が経った頃。

「服を選ぶのって、どうも苦手なんですよ」

 大樹と京子はふたり、カウンターの中にいた。世間話をしていたら、服装の話題になったのである。

「そんなにセンスが悪いとは思わないけど」

 京子はこれまでに見た、バイトの制服に着替える前の大樹の服装を思い出しながら言う。

「そうですか? う~ん、あの、もし良ければ、今度、服を買いに行くのに、つきあってもらえませんか?」

「え?」

「前に、山之内さんの友達が、山之内さんはオシャレだって言ってたんで、その、アドバイスとかもらえれば。お礼にご飯おごりますから。こないだ言ってた『タージマハル』とか、俺も行ってみたいし。だめですか?」

 その提案は京子の胸を高鳴らせた。

 『タージマハル』に行けば、きっとからい料理を食べるはめになるのだが、そんなことはもはや気にならない。

これって、つまり、デートじゃん!

 京子は思わず踊りだしたくなるような、浮かれた気分をなんとか隠した。あまりの衝撃に、油断大敵などという言葉を、京子が頭の中からすっ飛ばしてしまったその時、自動ドアが開いて、客が入店してきた。

「いらっしゃいまっ……」

 にこやかに挨拶しようとした京子の声が、途中で止まる。

 できる限り、見たくない顔がそこにあった。

 美緒だった。合コンの時と違って、髪を凝った編み方でまとめている。

「……せー」

 京子はごまかすように挨拶の残りを続けた。

 いつもより深く頭を下げて、京子は顔を隠す。

 美緒がレジの前の通路を歩いていく。気づくな、気づくな、と京子は念じる。

 美緒が、京子のいるレジの前で足を止める。

「あら、ここでバイトしてるんだ」

 苦笑いを浮かべながら、京子は顔を上げた。

 美緒は、余裕たっぷりの微笑みを浮かべて、京子を見ていた。

 美緒は一人ではなかった。隣に男が一緒にいた。この間の合コンの参加者の一人だった。

 しかもあの時の参加者の中では、一番、格好よかった男である。その男は合コンの後、美緒ではなく、ヒトミを送って帰っていったはずだった。それが何故か今は、美緒の隣にいる。

「覚えてる? 合コンの時、会ったでしょ。あの後、連絡取りあってさ、今日はたまたま一緒に遊んでたんだ」

 美緒が京子に男を示す。含みのある言い方だった。

 京子はあの合コン後、参加していた男全員に連絡を取ってみたが、一つも返事は返ってこなかった。

 もしかして、そのことを美緒は知っているのだろうか、京子は美緒の顔を見つめる。美緒は微笑んだままである。

 京子が『デイリーデイリー』でバイトを始めてから、美緒が来店するのを見たのは初めてだった。男とふたりでどこかに出かけて、偶然、立ち寄ったのだろうか。

「ほら、覚えてるでしょ。合コンの時、髪の毛をさ……」

「ああ、あの……」と相槌を打って、男が笑う。

 京子はドキリとする。咄嗟に、大樹の方を確認する。

 マズい、と京子は思った。もしも今ここで、美緒が合コンの話を続けたら、京子が髪を切った本当の理由や状況が、大樹に知られてしまうかもしれない。それはマズい。

 大樹は客のレジを打っていた。そこにちょうど、もう一人、客がレジに向かってくるのが見えた。京子は美緒に言った。

「ごめん、今、バイト中だから、あんまり話せないんだよね」

 美緒がレジに来た客をチラリと見て言った。

「そ、なるほどね」

 美緒がレジから離れ、京子は少しホッとした。

 しかし、京子がレジ打ちを済ませると、再び美緒が男と一緒にレジにやって来た。お弁当をふたつ持って。

「温めてもらえる?」

 美緒が微笑む。

 もちろん、追い払うわけにはいかない。込み上げてきた怒りを飲み込んで、京子は弁当を一つ電子レンジに入れた。その時、ふと、大樹が京子の方を見ているのが目に入った。

 京子は大樹に何か仕事を頼んで、カウンターから離れてもらおうかと思ったが、間の悪いことに、別の客が再び大樹のレジの前にやってきた。

 大樹が客に集中して、こちらの話し声が聞こえないことを祈りながら、京子は美緒の方に向き直った。弁当を温めている間に会計を済ませる。代金は男の方がまとめて払った。

「その髪、結構、似合うよ」

 お釣りを受け取りながら、男が言った。

 美緒が笑って「ちょっと、やめなよ」と男を小突く。

 髪型が似合うなんて、普通なら嬉しくて胸がドキドキするような言葉だが、褒めるために言っているのではないことは明らかだった。男の方は軽い冗談のつもりなのかもしれない。隣のレジには大樹がいる。京子の胸は嬉しさとはまったく別の感情で、ドキドキと脈打った。

 会計が済んでも、美緒たちはまだ帰らない。お弁当はふたつある。もう一つ、温めなければならないのだ。

 会計の間に温まった弁当を取り出し、次のものと入れ替える。電子レンジの動く数十秒が、あまりに長く感じる。

「今度、またみんなで遊ぶからさ、山之内さんも来ない? あなたがいると、みんな退屈しないからさ」

 笑いながら美緒が言う。京子は、美緒がここに来た理由が、なんとなくわかってきた。美緒は見せつけに来たのだ。美緒にとっては、あんな一回の合コンなんて、たいしたことではないのだ。京子と違って連絡も取れるし、次の機会だってある。京子のしたことなんて、全く無意味だったのだ、わざわざそう言いにきたのだ。

 なんて性格の悪い女だ!

「確かに、退屈はしないね」

 男が再び口を開き、京子はドキリとする。

「みんな、驚いてたよ。いきなりショートになったから」

 男が言うのを聞いて、クスクスと美緒が笑いだす。

「あ、いや、その、それは……」

 京子はうろたえつつ、チラリと大樹を見る。レジ打ちを終えた大樹が、京子の方を見ている。

 美緒が笑ったことで気をよくしたのか、男はヘラヘラと笑ってさらに言葉を続けた。

「本当にその髪さぁ。まさか合コンのトイレで……」

 京子は眉間に皺が寄る。美緒と男に、フライヤーの油でもぶっかけてやろうかと思ったその時、

「あの、山之内さんのお友達ですか?」

 唐突に、大樹が言った。

 言葉を止めて男が大樹を見る。美緒も京子も大樹に目を向ける。

 大樹は、どこか幼く見える、人懐っこい微笑みを浮かべている。

「ええ、同じ大学なの」

 大樹の顔を見た美緒が、急に愛想のいい声になって答えた。

「あの、山之内さんの髪ですけど……」

 大樹が言うと、また男がヘラヘラと笑った。

「そう、この髪さ、合コンでいきなり……」

 美緒も、またおかしそうにクスクスと笑い始める。

 京子が、もうだめだ、と思った時、男の言葉を遮るように、大樹がハッキリした声で言った。

「俺も、すごく似合うと思います!」

「え?」

 男と美緒が、笑いを止める。

「さっき、そちらの方が、結構、似合うって言ってましたけど、俺もそう思います。山之内さんにその髪型、すごく似合ってますよね」

 大樹が微笑む。どこか幼い顔のせいだろう、本当に正直に、素直に大樹はそう話しているように見えた。

 さっきまで、冗談めかして笑って話していた男は、どこかバツが悪そうに、視線を泳がせた。美緒も、居心地の悪そうな顔をする。

 その時、電子レンジが鳴った。

 京子は素早く弁当を取り出す。急ぐあまり、不用意に弁当を掴んでしまい、その熱さに京子は顔をしかめた。しかし気にせずそのまま弁当を袋に詰めて美緒たちに差し出した。

 男が袋を受け取る横で、美緒が不機嫌な顔で京子を睨んでいる。大樹が京子の味方をしたことが、まったく気に食わないのだろう。

「じゃ、またね」

 と、ぶっきら棒に短く言って、美緒と男はレジを離れた。

「ありがとうございました!」

 京子は先ほどまでとは打って変わって、晴れ晴れした微笑みを浮かべて美緒たちに言った。

 店から出ていく美緒と男を見送った後、京子が大樹に目を向けると、大樹も京子の方を見ていた。そして京子が何か言う前に、大樹が言った。

「手、どうかしましたか?」

「え?」

 京子は自分が無意識のうちに、左手で右手を押さえていることに気づいた。さっきの弁当のせいで、京子の右手は火傷して赤くなっていた。

「火傷したんですか? 冷やさないと」

「あ、いや、大丈夫だから」

「大丈夫じゃないですよ」

 大樹が京子の手を引っ張って、流しの水道で水をかけた。

「ちゃんと冷やせって言ったの、山之内さんじゃないですか」

 大樹が笑う。

「……ありがとう。あ、その、さっきのことも」

 京子が大樹に言う。

「困ってるみたいだったんで。それに、俺、嘘をついたわけじゃないですよ。本当にそう思ってるから、ああ言ったんです」

 大樹が微笑む。

 やっぱり弟みたいでかわいい顔だと、京子は思う。

 水道の下で京子の手を掴んでいる大樹の手を見ながら、でも案外、頼りになる男なんだな、と京子は思った。

 美緒が帰ってから、京子は本当にいい気分で仕事を続けた。美緒に対する怒りも、もはや気にならなかった。

 美緒が連れてきた男よりも、大樹の方がずっといい男だ。帰り際の美緒の不機嫌な顔を思い出すと、京子はスカッとした。

 バイトが終わる頃になってふと京子は、大樹と一緒に服を買いに行くという話が、美緒の来店で途切れたままになっていることを思い出した。

「そう言えば、さっき言ってた服を買いに行く話だけど……」

 カウンターの中で、引継ぎのバイトを待ちながら、京子は大樹に言った。

「あとで連絡先、交換しようよ。それでいつ行くか決めよ」

「はい、ぜひ!」

 大樹が微笑んで言う。

 京子は不思議に思って、大樹の見つめていた方に目を向けた。

 カップラーメンが並ぶ棚。一人の客が立っている。

 飾り気のない服、簡単に束ねた髪、シンプルだからこそよくわかる整った顔と体。それは京子が見るたびに羨ましさと悔しさを感じる、あの女子大生だった。




「恋する行動経済学」は隔週月曜日更新です。

次回の更新は1月22日(月)です。


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REVIEWS

評価

12344

良いと思うところ

おー^^前回に比べて、京子ちゃんがフラフラせずに直視できるようになりました*
こんなにすぐに書けるなんて、すごいですね!あと、シュークリームからの油断大敵の場面にもっていったのも、又おもしろい発想だなと◎

良くないと思うところ

直視できるようになったのですが*
細かい描写が少ない、会話じゃない所の文章の前後の「ブツ切り感が」(←伝わりづらかったらゴメンナサイ!(笑))たまーに、つまづきます。流れるように読めると、もっといいかなぁと、思ったりもしました◎
次も楽しみにしています♪

2018年1月14日 11時40分 takamin
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コメントの評価

 著者からの返事

コメントありがとうございます!とてもとても励みになります!

部分的な修正を重ねて書いているので、ブツ切り感が出てしまっているのかもしれません。次の更新分は修正が間に合うかわからないのですが、その後の分については、スムーズさを意識して書くようにしたいと思います。
技術的に拙い部分が今後も散見されると思いますが、ご指摘とご愛読のほど、よろしくお願いします。

2018年1月15日 23時35分 森久人
森久人
評価

12345

良いと思うところ

経済の勉強を恋愛にと言う考えは、とても楽しい考えだと思いました!
京子ちゃんと恵奈ちゃんに、素敵な彼氏が出来る事を願っています!

良くないと思うところ

悪い点では、全く無いのですが、個人的には、京子と言う名前は、響きが良いし、大好きですが、今の時代を考えると、子の付く名前は、大学生の設定では、あまり無い名前では?と思いました(笑)

2018年1月21日 3時25分 退会済みユーザー
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森久人
コメントの評価

 著者からの返事

返信がものすごく遅くなってしまい申し訳ありません!
コメントありがとうございます!
テーマの発想を褒めていただいて、すごく嬉しいです。
確かに、もしかして「子」の名前は古いかも……。
出版段階で名前の変更も視野に入れて考えてみます!
今後もよろしくお願いします!

2018年3月11日 23時30分 森久人
森久人
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