行動経済恋する行動経済学

恋する行動経済学 第4話

 京子の暮らすアパート。学生向けのワンルームの部屋である。京子はテレビを見つめていた。

 テレビ画面の中、夕暮れの桜並木を高校の制服姿の少女が駆けていく。その先には、同じように制服姿の少年が立っている。

 少年の胸に飛び込む少女。少年が、少女を強く抱きしめる。

「もう絶対、離さない」

 力強く言う少年の腕の中で、微笑む少女の頬を、幸福に満ちた涙が一筋、伝う。

 抱きしめあう二人の上に、文字が浮かび上がる。

『FIN』

 そして歌とともに、EDロールが流れはじめる。

 画面を見つめる京子の目は、涙が今にもあふれそうなほどたまって、ウルウルしている。やがて、ポロリと、大粒の涙が一粒こぼれて、頬を伝った。

 ハッとして京子は涙を拭う。部屋に京子以外に誰もいないことはわかっていたが、それでも京子は気恥ずかしくて、辺りをキョロキョロと見回した。

 京子はプレイヤーからDVD を取り出す。盤面には、先ほどまで画面に映っていた少年の顔と、『春恋ドリーム』というタイトルが印刷されていた。それを見つめて、京子は噛みしめるように、つぶやいた。

「こういう恋愛が、したかったんだよなぁ」

 合コンに失敗し、大樹を手に入れることもできず、京子は悩みはじめていた。そんな時、たまたまDVDのレンタル店で、京子が中学生の時、好きだった恋愛ドラマを見つけたのである。なんとなく懐かしくて借りてきたのだが、いざ見はじめるとやめられなくなって、第一話から最終話まで、休みなく見続けてしまった。

 少年と少女が出会って、最初は仲が悪いのだけど、やがて惹かれあう。途中、恋のライバルが現れたり、少年が海外留学をしそうになったり、紆余曲折を経るのだが、最終的に、ふたり一緒にいることを選んで、ハッピーエンドとなる。

 まったくありがちな恋愛物語なのだが、京子は当時、このドラマに熱中した。京子が中学三年生の頃で、受験が近づき、現実逃避を求めていたせいもあったかもしれない。

 『春恋ドリーム』で、主人公の少女と恋に落ちる王子様役の少年を演じていたのは、今宮翼という役者で、当時、京子より一つ上の高校一年生だった。たった一歳、違うだけなのに、テレビで活躍している翼は、京子とまるで違う世界に生きているようで、京子にとって、実際よりもずっと大人に見えた。翼は京子の憧れだった。

 京子は過去に一度だけ、今宮翼を生で見たことがある。

 京子の通う中学校に、近くの河原で『春恋ドリーム』の撮影が行われる、という噂が流れた。もちろん女子は大騒ぎ。しかし撮影は平日の昼間に行われるということだった。

 噂を信じた何人かの生徒が、授業を抜け出したり、仮病を使って撮影現場の河原に駆けつけた。その中に、京子もいた。その時点で、京子はすでに翼の大ファンだったのである。

 噂は本当で、撮影は確かに行われていた。とはいっても、あまり近くで見学できるわけではない。三角コーンとバーでこれ以上、撮影現場に近づけないように区切られたところから、翼が演技をしている場所までは距離があった。学校を抜け出してきたのはほとんどが翼目当ての女子で、できる限り翼をよく見ようと、みんな身を乗り出していた。

 やがて、少女たちは色めき立った。演技を終えた翼が移動する時、見学している少女たちの近くを通ったのである。近くといっても、手が届くような距離ではなかったが、歩きながら翼は少女たちに手を振った。少女たちは一層盛り上がって身を乗り出した。

 その拍子に、京子は少女たちに背中を押されてつんのめった。三角コーンとバーを倒して、前のめりに二、三歩よろけたところで、足がもつれてひっくり返った。

 地面に膝を打って、ジンジンと痛む。

 ヤバい、怒られる! と京子は思ったが、次に京子が聞いたのは、とても優しい声だった。

「大丈夫?」

 京子が顔を上げると、目の前に翼が屈んで、京子に手を差し出していた。京子の心臓が跳ね上がった。

 翼の手を京子が握ると、翼は京子の手を引いて助け起こした。

「ケガしてない? どこか擦りむいたりとか」

 京子は何も言わず首を振った。緊張で声が出なかった。男子と手を握ることすら、京子にとっては慣れないことなのである。

「よかった」

 翼が京子の顔を見て、ニコリと微笑んだ。

 その後、京子は撮影スタッフに怒られたのだが、そんなことはほとんど耳に入らなかった。見学に来ていた他の少女たちが嫉妬して、針のような視線を向けたが、それも気にならなかった。

 京子はその日、いやその日だけでなく、それからしばらくの間、心の中がフワフワとして落ち着かなかった。

 京子が撮影現場で翼と手をつないだ、という話は、どこからか伝わって、中学校で噂になった。そのことで友達にからかわれたりすると、なんだかくすぐったかったが、決して悪い気分にはならなかった。自分が、あの翼のことでからかわれるなんて、まるで翼と京子の距離が近くなったような、そんな感じがした。

 しかし実際には、芸能人である翼と、ただの中学生の京子の間に、それ以上、何かが起こるわけもなかった。撮影現場で偶然、ちょっとしたやり取りがあっただけで、その後にまた、会ったり話したりする機会なんて、当然あるわけがなかったのである。

 そして、『春恋ドリーム』の最終話が放送されてから、しばらくした頃、突然、今宮翼は引退したのである。学業専念がその理由だった。それを知った日、京子は人生で一番、泣いたのであった。





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REVIEWS

評価

12345

良いと思うところ

急に、お話がガラリと変わって*
また、違った感じで楽しめました。
最後バスに追いついたところは、うそでしょ(笑)って思ったけど。1番おもしろかったとこです。あとは、一緒にいたのが美緒ちゃんだったのが予想外だったので(コンビニにいつも来る女の子かと思ってました)続きが楽しみです。

良くないと思うところ

いつも、いろいろ書いちゃってますが〜
今回はないです!展開が気になることぐらいです◎楽しみにしてます^ ^

2018年2月12日 15時27分 takamin
1人がこのコメントに「いいね!」しました
森久人
コメントの評価

 著者からの返事

コメントありがとうございます!
今回は展開の前フリ的な部分で、行動経済学の話を入れなかったので
逆にボロが出なかったのかもしれません(笑)
続きが楽しみだと言っていただけて、すごく嬉しいです!
ありがとうございます!今後もよろしくお願いします!

2018年2月15日 12時55分 森久人
森久人
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