私は――何か言わなければと思った。でも、思わぬタイミングで心の柔らかいところに触れられたので、返す言葉が出てこない。

　まるでお店の床が揺れているかのようだった。でも、揺れているのは、私の足だ。

　――あかりんの話が都市伝説だとされているのは事実だった。でも、ハニーズでアルバイトしていたのを見たという話がネットの掲示板に書かれていたし、スカウトの件に関してもいくつか説があるので１００％あり得ない話ではない、と私は信じている。

　でも、彩花たちに笑われたことで、みじめな気持ちがわきあがってきた。大事にしてきたブランド物のバッグが鑑定士に偽物だと判断されたような気持ちだった。

　「無視しないでよ、真理ちゃん」

　海城男子の声が聞こえたけれど、私は無言のままテーブルを離れた。

　このまま更衣室に行って、制服を脱いで家に帰ってしまいたい。でも終わりの時間はまだまだ先だ。

　ポーン

　インターホンが鳴った。掲示板に表示されている数字を見て寒気が走る。またもや彩花のテーブルだった。

　（もう、本当にやめて……）

　心から懇願したが、そんな気持ちも押し殺し、ファミリーレストランの店員になりきってテーブルに向かうと、海城男子が言った。

　「水、ないんだけど」

　テーブルの上を見て（しまった）と思った。彩花を意識しすぎるあまり、最初のおしぼりとお水を出し忘れていたのだ。

　「失礼しました」

　慌てておしぼりとお水を持ってきてテーブルの上に置こうとすると、海城男子が妙な動きをしていた。気になってそちらを見ると、携帯電話を私に向けて撮っていた。

　彼は、動画を撮っていた。

　「やめてください」

　とっさに携帯電話を奪おうとした。

　海城男子は私の動きをかわしたが、そのとき私たちは軽くもつれる形になり、テーブル上のアイスコーヒーをこぼしてしまった。

　グラスから流れ出たコーヒーが海城男子の制服を濡らした。

　「何すんだよ」

　「も、申し訳ありません」

　とっさに謝ったが、海城男子は舌打ちして言った。

　「マジあり得ねえんだけど」

　私は内心、（あんたが勝手に動画を撮ろうとしたからじゃないのよ！）と思ったが、

　「すぐに拭くものをお持ちいたします」

　と言って厨房に駆けていった。乾いた布巾を持ってくると、海城男子は布巾を乱暴につかみ取り、上着の白い制服についたコーヒーを拭き取りながら言った。

　「どうすんの？」

　男の口調が変わっていることに気づいた。私は、

　「申し訳ありません」

　と頭を下げたが男は、「申し訳ありませんじゃなくてさぁ」と続けた。

　「俺、こういうのマジだめなんだよな」

　それから、「あー、ダメだ。切れそうだわ」と言いながら首をひねり、威嚇するような動きを見せた。私は助けを求めるように彩花を見たが、面倒そうな顔で自分の携帯電話をいじっていた。

　「どうすんの？」

　こうやって人に詰め寄るのに慣れている感じだった。私は怖くなってきた。

　「いや、黙ってないでさ。さっきから無視してくるけど、それ失礼じゃねーの」

　どうしていいか分からなくてうつむいていた。瞳に涙が溜まってくるのを感じる。

　「このブスマジでムカつくわー」

　そう言って携帯電話を持ち上げた。また私を撮ろうとしている。でも、「やめて」と言えない。

　助けを求めて店を見回すと、店長の姿が見えた。

　店長は一瞬私を見たが、ただお客さんが私の制服姿を撮っているだけに見えたのか、そのまま歩き去ってしまった。