行動経済恋する行動経済学

恋する行動経済学 第7話

 転びかけた体を隼人に支えられながら、京子は自分の心臓がドキドキと強く脈打つ音を聞いていた。

 冷静になれ、冷静になれ!

 この胸の高鳴りは、決して恋に落ちたせいじゃない。転びそうになって、心臓が驚いただけだ。京子はそう自分に言い聞かせた。

「あの、山之内さん、大丈夫ですか?」

 大樹の声で京子は、自分の体がまだ隼人に支えられたままなのに気がついた。京子はハッとして身を離し、思わず隼人の前で空手家のように身構えた。

 大樹も隼人も、キョトンとした顔で京子を見ている。京子は急に恥ずかしくなって、身構えた体を元に戻して、せきばらいをした。

「ごめんなさい、驚いて、ちょっと混乱しちゃって……」

 苦しい言い訳をしつつ、京子が椅子に座る。隼人も大樹も席に戻った。京子とテーブルを挟んで向かい側に、大樹と隼人が並んで座っている。すぐに店員が来て、京子の注文を取る。大樹と隼人の前にはまだ水しかなかった。大樹と隼人も来たばかりなのだろう。京子はメニューを見て、恵奈と来た時のマズいコーヒーの味を思い出した。あの味で充分な気もしたが、今日はあえて悪い状況を作っているのである。京子はよりひどい味のメニューを求めて、『特製ハニーコーヒー』というメニューに目をつけた。下に小さな字で、「ハチミツと特製スパイスを加えた当店自慢のコーヒーです」と説明が書いてある。「特製スパイス」という文字から、危険な香りが漂ってくるような気がした。京子は思い切ってそれを注文する。

 店員が去ると、大樹が京子に隼人を紹介した。

「えーと、こちらが大学の先輩の山城隼人さんです」

「初めまして」

 隼人は京子に挨拶してほほえむ。翼とソックリの顔で。京子には、その顔がキラキラ輝いているようにさえ見えた。

「で、こちらがバイト先の先輩の山之内京子さんです」

 次に大樹が、隼人に京子を紹介する。

「初めまして」

 京子もそう言って微笑もうとするが、苦笑いになってしまう。京子は頭の中で唱える。こいつは翼くんの顔をしているだけだ。美緒の彼氏だぞ。気をつけろ!

 そこに、店員がやってきて、大樹と隼人の前に飲み物を置いた。

「こちら、コーヒーと特製ハニーコーヒーになります」

 大樹は普通のホットコーヒー、隼人は京子と同じハニーコーヒーを頼んでいた。大樹の前に置かれたコーヒーを見て、京子の口の中に再びひどい味の記憶がよみがえる。隼人の前のハニーコーヒーはきっと輪をかけてひどい味だろう。

「映画、楽しみですね」

 砂糖を入れてコーヒーをかき混ぜながら、大樹が言う。京子たちはこの後、一緒に映画を観にいく予定になっていた。予告によれば、それは社会派人間ドラマで、戦時中の日本を舞台にした真面目で重そうな内容だった。正直、そういう息苦しくなりそうな映画が京子は苦手だった。京子が好きなのは、笑えるアクション映画か、ベタベタな恋愛映画である。恋愛映画なら恥ずかしいくらい甘酸っぱいヤツがいい。『春恋ドリーム』のような……。

 とにかく、京子はその映画に本当は興味がなかったのだが、あるということにして、隼人たちと一緒に行くことにした。テレビでも推されている話題作だったので、隼人と大樹は元々、一緒に行こうと約束していたらしい。京子はそれにまぜてもらう形で、隼人と会う機会を大樹に作ってもらったのである。

「うん、話題になってる映画だから、観たかったんだよね」

 京子は楽しみにしているフリをして言う。普段なら、まず見ないタイプの映画だが、『連合』を利用するためには好都合だった。あるものに対し、傍にあるものや出来事の印象と同じ印象を抱いてしまう『連合』の心理効果。つまらない映画を一緒に観れば、その映画の印象が隼人に『連合』するかもしれなかった。


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